アメリカ製レンジファインダーカメラ Bolsey 35 Model B を用いた撮影を試みた。Bolseyは1947年に登場したコンパクトな35mmカメラで、レンズにはアメリカの光学メーカーWollensak社の Anastigmat 44mm F3.2 が装着されている。三角形に近い特徴的なフォルムと小型のボディは、このカメラの個性をよく表している。
設計者は Jacques Bolsey(本名 Jacques Bogopolsky)。彼は1896年、現在のウクライナの首都キーウに生まれた人物である。少年期はロシア南部のアストラハンで育ち、18歳頃に薬学と医学を学ぶためスイス・ジュネーブへ渡った。父親が薬剤師であったこともあり医療の道を志していたとされるが、やがて機械設計の才能を発揮し、大学教授の依頼で手術撮影用のカメラを製作したという逸話も残っている。

20代の頃にはすでに映画用カメラの設計に取り組み、27歳頃には35mmフィルムを使用するシネカメラを設計。翌年には自ら会社を設立し、そこで開発された16mmカメラ Bolex は後に世界的に知られる存在となる。その後、Bolexの権利を売却した彼は設計者・コンサルタントとして活動を続け、レンジファインダーカメラなどの開発に携わったのち、1930年代には35mm一眼レフ Bolsey Reflex の設計にも関わった。
20代の頃にはすでに映画用カメラの設計に取り組み、27歳頃には35mmフィルムを使用するシネカメラを設計。翌年には自ら会社を設立し、そこで開発された16mmカメラ Bolex は後に世界的に知られる存在となる。その後、Bolexの権利を売却した彼は設計者・コンサルタントとして活動を続け、レンジファインダーカメラなどの開発に携わったのち、1930年代には35mm一眼レフ Bolsey Reflex の設計にも関わった。
1939年にその権利を手放した後、彼はアメリカへ渡る。第二次世界大戦期には米軍向けカメラの設計に関わり、戦後にはニューヨークで Bolsey社 を設立する。そこで開発されたのが、8mmシネカメラ Bolsey Uniset や、35mmカメラ Bolsey B などのシリーズである。ヨーロッパで培われた精密機械技術とアメリカの工業生産が交差した製品群と言えるだろう。
Bolsey Bが登場した1940年代後半は、まだアメリカ国内でカメラ製造が成立していた時代でもあった。KodakやGraflexなどのメーカーに加え、戦後には35mmカメラを国内で生産しようとする試みも見られた。しかし1950年代に入ると、日本やドイツのメーカーが急速に品質と価格競争力を高め、アメリカ製の35mmカメラは徐々に市場から姿を消していく。Bolseyはその過渡期を象徴する存在でもある。
一部の海外情報では、このWollensakレンズは開放付近でいわゆる「ぐるぐるボケ」が現れると紹介されている。今回の撮影ではその特徴を少し期待していたのだが、実際にはそれほど顕著には感じられなかった。掲載している写真は比較的絞り込んで撮影したものが多いため、なおさら分かりにくいのかもしれない。むしろ全体としては癖の少ない素直な描写で、扱いやすいレンズという印象である。

操作感は、普段使用しているドイツ系・日本系のクラシックカメラとはやや異なる。多くのフィルムカメラではフィルム巻き上げとシャッターのチャージが連動しており、巻き上げを行わなければシャッターは切れない。しかしBolsey 35 Model Bには明確なシャッターチャージ操作がなく、極端に言えばいつでもシャッターが切れてしまう。この構造により、フィルムを巻き上げないままシャッターを切ると同一コマに画像が重なる 多重露光 が起きやすい。
掲載している写真の中にも、そのような偶然の多重露光が含まれている。狙って撮影したものではないが、結果として反射のようにも見える不思議なイメージとなった。またこのカメラでは、シャッターを切らなくてもフィルムを巻き上げることができるため、画像が記録されないままフィルムが送られてしまう カラ送り も起きやすい。今回36枚撮りのフィルムを使用したが、結果として 多重露光4コマ、カラ送り8コマ という、なかなか高い“エラー率”となった。
失敗もまた楽し、というところである。







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